ロスタイム逆転負け 『負けたのは誰のせいか』

2018/04/15

 勝負は勝った方が強い。勝者はチームの全てが評価され、敗者はプロセスも戦法も指導者も全てが否定されるべきだ。強くなりたいのなら。

 4月14日、関東大会予選2回戦。アルタイルズは私のラグビー歴で過去に思いつかない程ひどい敗北を味わった。残り10分まではエリア支配率8割以上優位、スコアも「平工12対0向上」。そして最終スコアは「平工12-14向上」。後半ロスタイムに逆転サヨナラ負けを喫した。
 試合後、両チームにとって中立的な立場にある観客が口にした。
「平工ってのはずいぶん気前がいいチームだなぁ。99%以上勝ちが決まっていたのに、それを相手に自分から差し出すなんて。」
 
 後半10分を経過したころから、ゲームメイクの全てが崩壊した。リードしながらチームが勝手に大パニック。日頃の練習や自分たちの戦術を完全に忘れ去った。ラスト5分。エリアと残り時間に対して、「なぜ?」「なんで??」勝利と逆行する不可思議な判断を延々と繰り返す。茫然自失と絶望のノーサイドを招いた。

 
 向上のひた向きなプレーと高いスキルは見事だった。諦めず勝利をつかみとった向上のメンタルは素晴らしい。彼らのプレーからも表情からも、どれだけラグビーに懸け、誠実に努力の日々を重ねてきたかは経験上すぐに分かる。勝者に相応しい素敵なチームだった。それに対し、平工はどうだったか。
 
 いったん監督である私自身のことについて。コントローラーたちが大パニックに陥り、敗戦を自ら招く間違いを犯し続ける。それは、昨日までに勝利の導き方とラグビーの基本セオリーを理解させられなかった私の責任だ。ゲーム中に戦い方について外から叫ぶこと自体が愚行だ。

 ラグビーはゲームが始まれば15人で判断を重ねてゲームを作っていくスポーツ。彼らに対して過信せず、前日までにラグビー理解を高めてやるべきだった。それもできず、ゲーム中に醜いほど外から叫び、結果に対して感情的になる。帽子を地面に叩きつける。敗者に相応しい最低な監督の姿だった。敗れた責任は、全て私にある。

 
 では、選手たち自身は今どう思うのか。タックルミスと判断ミス、余計な反則。「自分のあのプレーさえなければ勝ったはず。負けたのは自分のせいだ」はきっと真実だ。そんなプレーはきっと15人とも思い出せるはずだ。

 そして、今日までのプロセスはどうだ?向上に勝つに相応しい選手だったのか、勝つにふさわしい集団だったのか。全体練習後は?グランド練習日以外は?家に帰ってからは?ここでもやはり、誰もが「負けるべき理由」や「ゲームに出られない理由」を山ほど思い出せるだろう。

 スマホゲームなどに湯水のごとく大量の時間を捨て去っていた日々、もしも花園などの映像を週に1本ずつでも見ていたら。もしも全体練習以外で誘い合って苦手なタックル練習をしていれば。もしもウェイトを・・・、もしもコンビニで選ぶ商品を・・・。
 
 勝てば平工史上初かもしれないベスト16だった(少なくともこの50年間では初)。平工の歴史に名を残すとてつもないチャンスを逃した。しかし、勝つに相応しくない集団は、勝つべきではないということだ。

 我を失うほど失望した私自身、「勝つに相応しい指導者」に向けて、明日から変わらなければならない。アルタイルズ全員にいま必要なことは、この悔しさと絶望を二度と忘れないほど記憶に深く刻み込むことだ。繰り返すが、「自分だけのせいで負けた」の理解で正しい。都合のいい部分肯定や薄っぺらいポジティブ思考など今回ばかりは崖下に蹴飛ばし、「勝つに相応しい人間」「スタメン出場するに相応しい人間」に向けて具体的アクションをとること(それを継続すること)だ。

「自分の意志と意欲に応じた負荷で、それぞれがラグビーライフを楽しむ」というアルタイルズのチーム理念は崩さない。つまり全体への強制や管理を増やすことはしない。実は隙間だらけの24時間×7日の中で、何に力を注ぎたいのかを決めるのは自分だ。

 アルタイルズ内藤組が終わるとき、この惨めな敗北が1年間のストーリーのどんな要素になっているのか、未来を決めるのは自分だ。